平成3年(1991) 6月5日朝、ついに体の不調が限界になり香港島セントラルにある日本語を話す医者Dr.William Chaoに駆け込んだ。 ドクターは私の目を覗き込み二、三話した後、ほぼ肝炎に間違いないとすぐに血液を採り検査に廻した。 結果が出るまで近くの店で…
引用をストックしました
引用するにはまずログインしてください
引用をストックできませんでした。再度お試しください
限定公開記事のため引用できません。