2018-01-01から1年間の記事一覧

私の履歴書 第十三回 ビジネスに目覚め独立を決意

赴任して2年が過ぎたころから仕事にも脂がのってきた。 3年目から帰任するまでの3年間は大いに会社に貢献したように思う。 自身の経験から海外赴任を振り返ると初めの一年ぐらいは新しい環境に馴染むまで時間がかかり二年目あたりからやっと自分の生活パ…

私の履歴書 第十二回 香港生活をエンジョイ

100万ドルの夜景と言われた香港島の山頂から見る夜景は現在ではさらに高層ビルとネオンが増えていっそう煌びやかになっている。1997年の返還後からすでに20年が過ぎた今(2018)、街も人も当時とは大きく変わったが返還前の香港を懐かしむ人は多い。赴…

私の履歴書 第十一回 香港赴任と家族での生活

昭和58年(1983)5月末、すでに盛夏となっている香港に到着した。啓徳空港で待ち受けてくれていた前任者と車に乗り込み会社に向かう車窓から見る景色は日本とは全く違うものだった。 日本では見かけないような細長いノッポビルが折り重なるように並んでい…

私の履歴書 第十回 家族、登用試験、邱永漢先生との出会い

結婚後は江戸川区小岩にあった社宅の入寮申請が通り、そこに移り住むことになった。 18歳で親元を離れてから都内のアパートを転々とした一人暮らしが長かったので二人での新生活にとても幸福感を感じた。 家に帰れば話し相手がいるし食事も作ってくれる。…

私の履歴書 第九回 学ぶ愉しさ 好奇心旺盛だった20代

私の履歴書 第九回20代は旅とカメラが私のメインテーマだったがそのころ何事にも好奇心旺盛だったので写真以外にもいろんなことに興味を持った。この項では仕事から離れたところで自分のやってきたことを思い出してみたい。振り返れば10代は何も分からな…

私の履歴書 第八回 時計外装部で技術を研鑽

昭和45年(1970)大学を卒業した年に大阪万博が開催され大阪まで見に行った。 どちらかというと写真を撮るのが目的だった。 が、その時見たはずのパビリオンの記憶がなぜかほとんどない。 たぶん行列が長くて実際あまり見てなかったのではないかと思う…

私の履歴書 第七回 写真家にあこがれる

話が少し遡るがこのころ写真に熱が入り本格的に突っ込んだのでこの項で触れておきたい。入社2年が経過したころ社員福祉の一環として写友会(写真部)があることを知った。 ある時見学させてもらったら面白そうなのでそのまま入会させてもらった。これがきっ…